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人 自然 時を結ぶ。宮坂醸造株式会社

特集

酒米も、酵母も、至高を求める。
宮坂醸造株式会社

1662年、江戸時代初期に、現在の長野県諏訪の地で創業した酒蔵・宮坂醸造。銘酒・真澄の蔵元として、全国にその名を轟かせている。「七号酵母」発祥の蔵としても知られ、近代の日本の酒蔵と酒造りに影響を与えた。“酒は農家と酒蔵の共同作品”をポリシーとし、産地・品種にこだわった酒米を使用している。加東市山国地区から仕入れている山田錦への思い入れも深い。

01

蔵元の想い

Thought

Thought

Introduction

宮坂醸造と山田錦

“酒米の王様”山田錦を仕入れたい。約30年前、当主の宮坂直孝氏は父とともに山田錦を求めて兵庫県に通い詰めたという。
数年かけてやっと仕入れることができるようになった際、「天に上るような心地だった」と宮坂氏。
それから現在に至るまでの20数年間、仕入先である加東市山国地区の農家とは強い信頼関係を築いてきた。
田植えや稲刈りを手伝ったり、時に宴会を開き親交を深めたり、温かな付き合いの中、より良い酒造りのためにともに歩んできた。

CHAPTER 01

真澄の誕生と隆盛
真澄の魅力を広めた3代にわたる“革新”

宮坂醸造の始まりは、江戸時代初期に遡る。もとは、地元の大名・諏訪家の家臣だった宮坂家だが、1662年に酒屋へ転身し、諏訪家の御用酒屋として酒造りに尽力してきた。
しかし、江戸末期から明治時代にかけて、経営は右肩下がりに。そこで、現当主・宮坂直孝氏の祖父が改革に乗り出す。若い杜氏を積極的に採用し、これまでの酒造りを一新。全国の酒蔵を巡り技術や心構えについて教えを請い、自分たちの酒造りへとフィードバックさせていった。その努力が実り、1943年(昭和18年)に、全国新酒鑑評会で1位を獲得。終戦翌年の1946年(昭和21年)には、春と秋それぞれで1位から3位までを独占する快挙を達成し、真澄の名が日本中に知れ渡ることとなった。
さらに直孝氏の父は、瓶詰め工程を近代化させたり、首都圏へもマーケットを広げたりと経営手腕を発揮。続いて直孝氏は、海外の酒蔵に薫陶を受け、日本酒業界の中では早く輸出を始めてグローバルな展開を行ってきた。
3代にわたる革新的な取り組みが、真澄の名と地位を不動のものへと押し上げた。

CHAPTER 02

山田錦を選ぶ理由
夢の酒米を信頼の置ける生産者から

“酒は農家と酒蔵の共同作品”というポリシーを謳う宮坂醸造。計6種の酒米を仕入れており、80%が地元長野のもの。残り20%が兵庫県産で、このなかに山田錦が含まれる。
「30年前、山田錦は、我々にとってはまさに夢の酒米でした」と当主・直孝氏。やっとのことで仕入れがかなった山田錦への思い入れは深く、当初から取引をしている加東市山国地区の山田錦を一貫して使用している。

山国地区の農家とは、ビジネスを越えた絆で結ばれている。気心がしれた顔が見える関係で、絶大な信頼を寄せる生産者から届く酒米だから、本当に安心して使うことができる。 山国地区の山田錦から造られる酒は、上品で存在感があり、どこかあとをひく美味さがある。宮坂醸造の純米大吟醸3種のうち、「夢殿」「山花」の2種に使われていることからも、いかに重要な酒米であるかがうかがえる。
「我々酒屋は次の世代へ思いや技術を繋げていかなければなりませんが、同様に農家の方々も、山田錦に対する思いを後継者へ継承していってほしい」と直孝氏は語る。

CHAPTER 03

追求したい酒造りとは
4つの夢に向かい、日々邁進する

宮坂醸造は、4つの夢を掲げている。 1つ目は「日本一うまい酒を造る」こと。今も可能な限りの最高の素材と環境を揃えているが、良い米、良い人、良い設備をもっと追求できるはず。誰もが美味いと唸る酒、そんな酒を生み出していきたい。
2つ目は「食卓を和やかにする酒」を提供すること。日本酒は食中酒であり、食事を引き立たせることこそ本分。“人間の幸福は和やかな食卓から生まれる”という信念のもと、そのような食卓に添えられる酒でありたいと考えている。
3つ目は「文化の発信拠点でありたい」ということ。地域の伝統が息づく酒蔵は、かつては文化発信地でもあった。もう一度その地位を取り戻し、諏訪のまちを賑やかにしたい。
4つ目は「ここで生まれた酒を世界の酒にしたい」ということ。「日本の米で作った酒はすごいものだ」と世界の人々に言わせたい。そんな思いで、世界を視野に展開している。
「私の代で、なんとかこの4つの夢を実現させたい」と直孝氏。昨日より今日、今日より明日と、一歩ずつ高みを目指す。

02

拘りの追及

Traditional method

Method

Introduction

七号酵母へのこだわり

「酵母」は酒造りの主役。宮坂醸造の諏訪蔵で発見された「七号酵母」は非常に優秀な酵母としてその名を全国に広めた。
「落ち着いた香りと調和の取れた味わい」を醸す七号酵母はある種地味な存在でもあり、日本酒に華やかさが求められた時期には、
宮坂醸造でも別の酵母を使用していたことがあった。しかし、本来あるべき姿を取り戻すべく、七号酵母一本に絞った酒造りへ舵を切った。
原点回帰をした宮坂醸造は、七号酵母にこだわり、上質な食中酒造りを追い求めている。

CHAPTER 01

七号酵母とは

終戦前後から、新酒鑑評会で好成績をおさめだした真澄は、研究者たちの注目を集めることとなる。真澄の酒造りをさまざまな面から調べるうちに、酒蔵に棲む新種の酵母が発見された。
酒造りのメカニズムが解明され出したのは明治後期になってから。それまでは、酒造りはコントロールがなかなかできない神秘的なものとされてきた。しかし仕組みが明らかになるにつれ、酵母がいかに重要であるかも知られるようになった。ただし、一口に酵母といっても、その種類は無数にある。その中で、美味い酒造りに適した酵母はごくごくわずか。宮坂醸造の酵母は非常に優秀で、使いやすく失敗が少なく、良い酒を生み出す酵母だった。この酵母は、大蔵省の醸造試験場で培養され「七号酵母」と名付けられた。醸造試験場が7番目に発見した優秀な酵母だから“七号”である。七号酵母は全国の酒蔵に広まり、“近代日本酒の礎”といわれるまでとなった。

CHAPTER 02

山田錦と七号酵母

宮坂醸造では、七号酵母を主体に酒造りを行ってきたが、一時期、香りが重視される時代があった。七号酵母は、非常に穏やかな酵母で、華やかな香りを纏う酒を生み出すタイプではない。その時期は、顧客のニーズに沿ってほかの酵母で造った酒をブレンドするなど工夫をこらしてきた。
しかし、やはり七号酵母の発祥蔵としてこの酵母のみを使おうと決断し、2017年以降は七号酵母にこだわった宮坂醸造ならではの酒造りを追求してきた。
酒米に山田錦を使い七号酵母とマッチングすることにより大きく花開く。七号酵母による穏やかさと山田錦による膨らみや柔らかな香りが上品さを高め合い、そして後半に酸味がきゅっと味を締める理想的な酒へと昇華される。
「“味”を追い求める酒造りには、山田錦は優れた米であり、七号酵母との相性も抜群」と直孝氏は語ってくれた。

03

代表銘柄

Representative brand

04

会社案内

Company Information

Outline

Introduction

人自然 時を結ぶ

もとは諏訪家の家臣という武家出身の酒屋。1662年の創業時は諏訪家の御用酒屋として城へ酒を届けていたという。
大きな転機は明治時代後期。下降をたどっていた経営状況に歯止めをかけるため、現当主の祖父が改革を行い、
若手杜氏の登用や他の有名蔵元のノウハウを持ち込むなどテコ入れ。努力は実り、「真澄」の名は全国に轟くことに。
現在は、海外への展開やテーブルウエアに含めた提案型のショップ運営、フリーマガジンの発行など様々な手法で真澄を発信している。

会社名
宮坂醸造株式会社
所在地
〒392-8686 長野県諏訪市元町1-16
TEL.0266-52-6161 FAX. 0266-53-4477
MAIL. info@masumi.co.jp
創 業
1662年
代表者
宮坂 直孝
酒 蔵
諏訪蔵 富士見蔵

加東市の土壌が育む、最高の酒米

加東市産山田錦と酒